天皇と神道の関係

神道(しんとう、しんどう)は天津神、国津神、祖霊をまつる日本古来の宗教で、新天皇即位後に行われる大嘗祭や、収穫に感謝する新嘗祭、元旦の四方拝など皇室独特の行事とも深い関係があります。太陽や月、海や山、植物や動物など身の回りのあらゆるものに神聖な存在を認め敬う信仰に基づいており、初詣、門松、お月見、七五三詣りや節句などの形で現代の生活にも深く根付いています。そこで今回は、天皇と神道の関係について歴史を追って解説しましょう。

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神道とは?

身の回りのあらゆるものに宿る神を敬っている宗教です。
自宅などに置かれる神棚は神々をまつる祭壇、また、日本各地に存在する神社は、人間と神々を結ぶための祭祀を行う場所として位置付けられています。
神道に開祖はなくキリスト教の聖書のような正典もありません。しかし、教典と呼べるものとしては神話から始まる歴史書の「古事記」や「日本書紀」、歴代天皇の命令書である「宣命(せんみょう)」、平安時代に編纂された神道資料の「古語拾遺(こごしゅうい)」などがあります。

神道の分類

神道という概念は信仰や宗教のみにとどまらず、さまざまな意味を含んでいます。神道として語られる主なものについて説明します。

皇室神道

四方拝や新嘗祭などの祭祀(さいし)を行う皇室の神道です。天皇が祭司となり神に国家と国民の安寧を祈願することを中心としています。

教派神道

江戸時代末期に開かれ、明治維新後の神仏分離の動きに伴い政府に認可された神道系の新宗教教団を指す言葉です。開祖の体験に基づく教えが根幹にあり、黒住教、天理教、金光教などがこれにあたります。
教団では神道の中心的な神である天照大神(あまてらすおおみかみ)や教団独自の神などがまつられています。

国家神道

明治時代以降に国が統制した神道と、国民を統合するための精神的な支柱として推奨された神道的な実践を指しています。
政教分離を目指したGHQが1945年12月に発した神道指令によりこの用語の使用は禁止されました。

古代の天皇と神道

それでは皇室神道の中心となる天皇と神道の関係を歴史をたどりながら見ていきましょう。

奈良時代に記された日本最古の歴史書である古事記や現存する最古の正史の日本書紀では、天上の世界である高天原(たかまがはら)を統治する天照大神が天皇家の始祖であるとしています。その天照大神が地上を統治する役目を任せたのが、孫にあたる瓊瓊杵尊(瓊々杵命、ににぎのみこと)です。瓊瓊杵尊は三種の神器を携え、地上を統治するため、神々と共に地上に降り立ったとされています(天孫降臨)。この瓊瓊杵尊の曾孫が、初代天皇とされている神武天皇です。
古事記と日本書紀の編纂は天皇家による統治の正当性を明確にして国の内外に知らしめる目的で行われました。神話のモチーフを用いて天皇を信仰の対象として描き出すことは、国家が形成される過程において求められていたのです。

天皇と仏教

神道と天皇の関係で大きな転換点となったのが6世紀中盤、飛鳥時代の仏教伝来です。
仏教の受容をめぐり豪族が対立しましたが、仏教を護る立場の蘇我馬子が権勢を握り、仏教は社会に受け入れられていきました。用明天皇の皇子である聖徳太子も仏教を信仰し、天皇家にとっても信仰の対象として仏教が重要な存在になっていきます。
中でも、ユネスコの世界遺産に登録されている薬師寺は、天武天皇が680年(天武天皇9年)に皇后の健康回復を願って建立した寺院で、現在も皇室ゆかりの寺として知られています。

そして、日本古来の神もまた仏教に帰依したと解釈して神仏を一体化させる流れが生まれ、神道と日本仏教が融合した「神仏混淆」「神仏習合」が一つの信仰体系として定着しました。天皇が譲位後に出家して法皇を名乗ることが当然のこととして受け止められたのも神仏習合の流れに沿っています。

神道が再び脚光を浴びたのは江戸時代です。仏教や儒教などの外来思想に影響を受ける前の古代の日本にあった文化や思想を追究しようとする「国学」が盛んになり、本居宣長の「古事記伝」で古事記が再評価され、天皇家や神道が改めて注目されることとなりました。
本居宣長は徳川幕府の支配体制も天照大神の命に発し朝廷を経て徳川家康に委任されたとしており、この考えが幕末の尊王思想につながっていきます。また、18世紀末~19世紀初めに在位した光格天皇が宮中祭祀を復活させ朝廷の権威回復に努めたことも後の近代天皇制への移行の土台になっています。

尊王思想の発展などの要因が重なり、江戸時代末期には徳川幕府ではなく天皇家こそが日本を統べる存在であるという考え方が主流となります。そして大政奉還の後、天皇が日本の統治者に復帰し明治政府が始まりました。
同時に天皇による国家統治の正当性の根拠となる「神道」も国家が保護していくことになります。

近現代の天皇と神道

明治元年の1868年、明治政府は「天皇の国家統治」「王政復古」の実現のため、神道国教化の方針を採用し、神仏分離令を発します。結局、神道単独での布教が想定通りにいかず神道国教化政策は頓挫しましたが、国民統合の拠り所としての国家神道は第二次世界大戦後まで続きました。
戦後の日本国憲法では天皇は国民統合の「象徴」であり、国政に関する権能はないと規定されています。日本国憲法には神道の行事である宮中祭祀について明文規定はなく、祭祀は「天皇の私的儀式」という位置付けで執り行われており、現在でも皇居に設けられた宮中三殿には天照大神をはじめとしたさまざまな神々がまつられています。
天皇は現在でも、祭祀により国家と国民の安寧を祈願し続けているのです。

まとめ

天皇と神道の関係はとても深いものですが、外来宗教として到来した仏教も、天皇と深い関係を持ちながら人々の間に浸透してきました。歴史の流れの中では神道と仏教は密接につながりながら発展しており、どちらも人々に深く根付いた大切な信仰として現代まで続いています。「いい仏壇」では、仏教行事や仏壇についての御相談やお見積りを承っております。お気軽にお問い合わせください。