真言宗の仏壇の飾り方

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真言宗とは

真言宗 とは、空海(弘法大師)が開き最終の目的を即身成仏*とした密教*です。

インドで芽生えた密教は、大日経と金剛頂経の二つの系統に分かれて唐へ伝わります。

この二つの密教を、唐の恵果(けいか)が承継しており、空海が唐へ渡り伝授されます。

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二つの免許皆伝を受けた空海は日本へ帰国後、二つを一つの思想体系としてまとめ上げました。

それが空海密教(真言密教)です。

新しい密教の伝来が真言宗になったわけですね。

 

*即身成仏とは、この身のままに仏となることで現世で仏の悟りを開くことです。

 

*密教とは、秘密の教えのことで秘密仏教です。秘密には二つの意味があるとされており、一つは人々が自ら秘めている秘密と、もう一つは大日如来の内なる悟りで簡単にはうかがえない秘密です。

 

 

 

それでは真言宗を開くにあたった空海の生い立ちをみていきましょう。

 

空海は奈良時代の末期、6月15日の朝に現在の香川県善通寺市で生まれました。

父は豪族の佐伯直田公(さえきあたいたきみ)です。

 

幼少期の名前は真魚(まお)といい、おじの阿刀大足(あとうおおたりについて漢籍(かんせき)に親しみ、神童と呼ばれました。

 

その後、儒学の教育を受け15歳で京へのぼり、18歳の時に都の大学へ入学しました。

しかし、大学でも儒教を主とした詩経などの漢文教育ばかりで次第に疑問を抱き、さまざまな学問をした結果、大学を中退しました。

 

当時は都の栄華とはうらはらに、多くの貧しい人々や病の人々が巷にあふれており、

空海は人間社会の因果の悲しみと人生苦を解決する道を仏教に求めました。

 

そして退学後に虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)という苦業を行います。

虚空蔵求聞持法は一種の記憶増進法で、虚空蔵菩薩を本尊として真言百万遍を百日間唱えるものです。

 

その後、僧侶になるため奈良で国家試験を受け見事合格します。政府の許可が必要だったんですね。

合格後は、槇尾山寺で剃髪得度(ていはつとくど)という、仏の救いを得るために髪を剃る儀式をします。その時の名前は教海です。

 

そして二十二歳で一人前の僧侶になり空海となったのです。

 

その後804年に唐に渡り(別の船には天台宗の祖、最澄も乗っていました)、最新の中国文化をしっかりと学び身につけました。

 

当時の長安には、マニ教やキリスト教、ゾロアスター教、イスラム教の寺院もあり多種多様な人種、文化が交わる国際都市でした。

 

世界は広い!きっと空海はグローバルな目線になり視野が広がったことでしょう。

長安での体験が空海に大きな影響を与え、真言密教の基盤となっているのではないでしょうか。

 

ではなぜ密教なのでしょう。

それは、当時の長安で流行っていた最新の仏教であったから、とされます。

 

多彩な才能を持つ空海は、偉大な功績を多く遺しています。

文学、美術、書道、教育、建築、地質学、医学などです。

「いろは歌」を作ったともされ、「弘法も筆の誤り」のことわざは有名ですね。

 

そんな空海は、才能だけではなく人の運にも恵まれていました。

帰国して三年ほどは筑前で過ごしましたが、唐の文化に深い関心があった嵯峨天皇の即位により、空海の人生は大きく変わります。

嵯峨天皇のお蔭で、高雄山寺(神護寺)を中心に密教を広め、812年には最澄らに結縁灌頂(けちえんかんじょう)*して空海は地位を確立、その後高野山を開いて真言の道場としたわけです。

 

*結縁灌頂:仏と縁を結ぶための儀式。

 

空海は大自然に囲まれた「静」の高野山と、賑やかな都の「動」の東寺とを行き来しながら、

人々の幸せを願って教えを広げていきました。

晩年は高野山で多くを過ごし835年に入定(にゅうじょう)しました。入定とは、入滅の意味で亡くなることをいいますが、空海の場合は瞑想したままの姿で永遠の禅定(ぜんじょう)*に入ったため、今もなお生きており高野山奥の院で禅定に入っていると信じられています。

*禅定:精神を一点に集中した状態のこと

 

空海の入定から86年後の921年には、醍醐天皇より弘法大師の名を賜りました。

 

なお、現在遍路と呼ばれる四国八十八か所の巡拝は、空海が仏道修行した霊場などを回るものです。

ご本尊

真言宗には多くの宗派があり、ご本尊もそれぞれ異なります。

主なご本尊は、大日如来観音菩薩薬師如来不動明王弘法大師などです。

お脇掛

多くの宗派により、ご本尊が脇掛けになったりします。

大日如来をご本尊としたとき、向かって右に弘法大師、左に不動明王(そのほかの仏)を祀ります。

弘法大師をご本尊としたときは、右に大日如来、左に不動明王(他尊)を祀ります。

大日如来や弘法大師以外の仏をご本尊としたときは、右に大日如来、左に弘法大師という形にします。

総本山

真言宗の総本山は、和歌山県にある高野山の金剛峯寺です。

816年に朝廷の許しを得て、高野山に私寺として建立しました。空海は建築・土木の技術の才能もあり、朝廷や貴族には頼らずの建立でした。

 

高野山を選んだ理由は、都からできるだけ離れた深山で清らかな霊気を感じる場所がいいと、修業時代に訪れていたことが大きな理由といえます。

 

現在の建物は雷や火事での焼失から再建されたもので、青巌寺(せいがんじ)として建立されたものを1869年に金剛峯寺と改名されました。

「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」から名付けられたといわれます。

お唱えする言葉

光明真言

「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」

十三仏真言(祀っているご本尊を唱えます)

大日如来「オン アビラウンケン バザラ ダトバン」

観音菩薩「オン アロリキャ ソワカ」

薬師如来「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」

不動明王「ナウマクサンマンダ バザラ ダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」

釈迦如来「ナウマクサンマンダ ボダナン バク」

文殊菩薩「オン アラハシャノウ」

普賢菩薩「オン サンマヤ サトバン」

地蔵菩薩「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」

弥勒菩薩「オン マイタレイヤ ソワカ」

勢至菩薩「オン サンザンサク ソワカ」

阿弥陀如来「オン アミリタ テイセイ カラ ウン」

阿しゅく如来「オン アキシュビヤ ウン」

虚空蔵菩薩「ナウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリ ソワカ」

よく読まれる経典

真言宗の基盤でもある「大日経」「金剛頂経」が二大経典といわれ有名です。

 

大日経は、大日如来の心内の境地で、理(ことわり)の世界をあらわします。

普通の人間にははかり知ることができない、奥の深い世界ですね。

 

金剛頂経は、如来の境地へ至る人々の心と修行のあり方で、智(ち)の世界をあらわします。

 

空海は、大日経で確立された悟りの心を、金剛頂経の実践的なやり方でさらに具体的に示されました。

真言宗の歴史

真言宗は、空海が開いた高野山と、その後、都を護る寺として嵯峨天皇から託された京都の東寺(教王護国寺)とを拠点としていきましたが、東寺の方が朝廷の保護もあり、空海にとっては教えを広める基盤となりました。東寺の密教を東密といいます。

 

平安時代の中期には、門下の弟子の益信(やくしん)広沢流と、聖宝(しょうぼう)小野流とにわかれていきます。

聖宝は修験道の中興の祖といわれ、聖宝から観賢(かんげん)、淳祐(しゅんにゅう)、元杲(げんごう)、仁海(にんがい)へと教法を付与されました。小野流は聖宝が祖であり、仁海が広めたとされます。

 

その後さらにそれぞれが六流に分かれ、総称して野沢(やたく)十二流と呼ばれ、のちには広沢派九流、小野派二十七流に分かれ、その後もさらに多数の分派が行われました。

 

また、覚鑁(かくばん)が空海の教えにのっとり密教と浄土教を融合した秘密念仏思想の先駆者として新義真言宗の祖となり、古くからの空海の密教の教えの古儀真言宗とに分かれました。

 

その後は、秀吉の攻撃で逃げ延びた学頭の玄宥(げんゆう)智積院(ちしゃくいん)智山派(ちざんは)を、同じく学頭の専誉(せんま)長谷寺で(はせでら)豊山派(ぶざんは)を成立させました。

 

智山派は文献的であるのに対し、豊山派は思想的な特徴があります。

 

1872年には、新政府により一宗一管長制が定められ、翌年、金剛峯寺と東寺を古儀真言宗の総本山に、智積院と長谷寺を新義真言宗の総本山としました。

 

幾多の変遷があり、現在では、18の本山があります。

【古義真言宗系】

教王護国寺 – 東寺真言宗総本山

金剛峯寺 – 高野山真言宗総本山

善通寺 – 真言宗善通寺派総本山

随心院 – 真言宗善通寺派大本山

醍醐寺 – 真言宗醍醐派総本山

仁和寺 – 真言宗御室派総本山

大覚寺 – 真言宗大覚寺派大本山

泉涌寺 – 真言宗泉涌寺派総本山

勧修寺 – 真言宗山階派大本山

朝護孫子寺 – 信貴山真言宗総本山

中山寺 – 真言宗中山寺派大本山

清澄寺 – 真言三宝宗大本山

須磨寺 – 真言宗須磨寺派大本山

【新義真言宗系】

智積院 – 真言宗智山派総本山

長谷寺 – 真言宗豊山派総本山

根来寺 – 新義真言宗総本山

【真言律宗】

西大寺 – 真言律宗総本山

宝山寺 – 真言律宗大本山

真言宗の教え

冒頭で述べましたが、真言宗は密宗であり即身成仏を最終の目的としています。

密教の教えは絶対的な存在である大日如来が説かれたもので、人間が理解しようとするためには多くの修業が必要です。

仏教では私たちの人生はすべて「身体、言語、心」の三つの働きで成り立っており、これを「三業(さんごう」、密教では「三密(さんみつ)」といい「身密、語密、意密」となります。

 

手に印契(いんげい)を結び(身密)、口に真言を唱え(語密)、心に本尊を念じて(意密)祈ることを「三密加持」といい、行うことで奇蹟や不思議を生みだす力を持てるとされます。

 

密教の教えを説くには、宇宙に存在するあらゆるものの実体、実質をよく観じ、三密加持をおこなった結果、即身成仏ができるという教えです。

真言宗の仏壇の選び方

真言宗のお仏壇は、一般的には唐木仏壇を多く用いているようです。

家庭用のお仏壇には唐木仏壇と金仏壇の二種類があり、金仏壇も使われますがはっきりとした決まりはないので、菩提寺のご住職に相談されるか仏壇仏具店で「真言宗のお仏壇を」と注文すれば間違いはありません。

 

注文の際は、お仏壇を置く場所の高さや幅や奥行きの大きさを前もって調べておきましょう。

真言宗のご本尊の選び方

真言宗では多くの如来、仏をご本尊として信仰しています。

総本尊は大日如来ですが、例えば観世音菩薩薬師如来不動明王弘法大師などその他多くの仏は、大日如来の働きとして世を助けるためにあらわれた仏とされます。

そのため、どの仏を祀っても大日如来を祀ることと同じためそれぞれのお寺によってご本尊が異なりますが、ご自分のお家でどう祀ればいいのか迷われた場合は、大日如来弘法大師にされるとよいでしょう。

真言宗の仏壇の飾り方

現在のお仏壇の内部構造は、大型や中型のものでは三段になっています。

上段のご本尊を安置する台座を、須弥壇(しゅみだん)といい、須弥山からきています。

仏教の世界観では、須弥山が全世界の中心であることから名づけられました。

 

中段には、位牌や過去帳を祀り、水や仏飯や果物などをお供えします。

 

下段には、ろうそく、香炉、リンなどを置きます。

真言宗のお仏壇の方角について

真言宗のお仏壇を置く場所については、真言宗の本堂では南向きにたてられているので、南面北座の位置に安置されるとよいです。

 

南面北座の向きは、お仏壇の正面が南に向き、背が北になるような置き方なので、南側からの風通しがよく湿気を防ぐこともできるため、お仏壇を長く保存するには最も適した置き方です。

 

もうひとつ、本山中心説といい本山を中心に置く置き方で、お仏壇の前で合掌するときに延長線上に自分の宗派の本山があるように置きます。

 

このように方角については決まりはありませんが、できれば北向きは避けるようにします。

 

家族が落ち着いて日々お参りできる場所に置かれるのがよろしいですね。

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