1. 入選作品発表 手を合わせてつながる絆

入選作品発表 手を合わせてつながる絆

故人や先祖と家族とのつながりの大切さを伝え、日本の精神文化の象徴ともいえるお仏壇を後世に継承していくために、皆様よりお仏壇にまつわるエピソードを募集したところ、非常にたくさんのご応募をいただきました。
たくさんの応募作品の中から、選考委員三名が厳選に厳選を重ね、金賞1編、銀賞2編、銅賞5編を選考しましたので、ご紹介したいと思います。

金賞

大きな心の拠り所

櫻井 俊甫(大阪府堺市/77歳)

還暦定年後、何と無く生活に空虚さを感じて、善く善く考えてみると、それは心の拠り所が無いという事であった。
そこで、心の拠り所とは何ぞやであるが、結論に至ったのが、我が家は分家であり、しかも家族に死亡した者がいないため、当然のことながらお仏壇が無い。しかし、この世に父母はもとより、ご先祖様のいない人間は存在しないと悟りつつ、
―そうだ。仏様やご先祖様に、手を合わせる場であるお仏壇、すなわち心の拠り所が必要なんだ。
と気付くや否や早速仏壇店へと走り、心ばかりの小さなお仏壇を購入してきて、ご先祖様を祭り、お花やご供物を、さながら子供の飯事のように家族で楽しく飾り、恰好ばかりの我が家のお仏壇をととのえた。
そして譬え質素でも、家族共に朝に夕に跪き手を合わせ、ご先祖様に感謝する時、お鈴の音は余韻嫋嫋と我が心を清浄にし、静かに明日への希望を抱かせてくれるとともに、お線香の紫煙はゆらゆらと天空へ昇り、家族の願いをご先祖様に届けてくれる、そんな気がしてならない。
このように、位牌は無く、姿形は小さなお仏壇でも、私たち家族の心の大きな拠り所となっている。

銀賞

生かされている私

長坂 隆雄(千葉県船橋市/82歳)

生前、お仏壇の礼拝を日夜欠かさぬ母に尋ねたことがあった。『死後の世界ってあるのだろうか』との問いに『死後、生き返った人はないから分からないけど、偉大な大自然の摂理によって生かされて来たこの世から、その懐へと帰って行くのが死だと思うの。お陰様で生かされていると思うと、自然にお仏壇に手を合わせているんだよ』と答えた。
 私も死後の世界が存在するのか否かは分からない。併し、最近は人間一人では生きられない、自然の恵みや多くの人々のお世話により生かされている自分であることを感じる様になってきた。私の眠っている間も、酸素は寸時も消えた事はない。春がくれば自然は芽をふき、花が咲き、秋が過ぎれば木の葉は散る。大自然の摂理に胸打たれることが多くなり、お仏壇の前に座ると、お陰様と感謝の気持ちで自然と手をあわせる様になった。
 先祖の人々が感謝を表す場として仏壇を敬い、敬愛して来た伝統は素直に守って行きたいと思っている。そして、その伝統は次ぎの世代へと継承していきたいものである。  幸い、子供や孫達もわが家を訪れると、必ず仏壇の前に座り手を合わすことが習慣となっている。
 私にとって、お仏壇は大いなる大自然に対する感謝を表す場であり、先祖の人々との交流の場であり対話の窓口となっている。

銀賞

お仏壇はいつもみまもっていてくれます

石原 節子(岐阜県高山市/67歳)

 目を閉じると里の小さな家の中のお仏壇の前にはいつも何かがお供えしてありました。頂だき物・私達の通知表・ガンバった時のメダル賞状、嬉しいたよりが。私の家は封建的で厳格な祖父母は仏壇に手を合わせる心を孫達にも朝食の前に必ずお祈りしてご飯を頂きました。
 今でもあの時の事を思い出します。末っ子の弟が3学期の成績表を仏壇に供えず隠して外に遊びにいってしまった時、いつもやさしい母が鬼の様に恐ろしい顔をし弟を外から連れてきて仏壇の前ずっと座らせ厳しく叱っていた姿を。
 平成の年、その弟が都会のアパートの一室で突然死してしまいました。ボランティア精神が深く長い年月自分の幸せを考へず困っている人に心を傾けて生きてきた弟でした。盆にも正月にも故郷に帰らず直接の出会いはまったくありませんでしたが、いつも手紙と電話でふれ合ってきました。
 無言の弟の眠るドアを開けるのがこわかった。驚きました。天使の様な微笑みを浮かべて眠る枕元の机の上に段ボールの手作り仏壇があり祖父母、父の法名が書かれてその前にお茶を供えていたのでした。長い間、里の仏壇の前に姿をみせない弟の事、許せないと思っていた私でしたが、この手作り仏壇に毎日手を合わせて亡くなった愛する人を想う気持ちを大切にして生きてきた事、無言の弟の最後の微笑みの姿でわかりました。

銅賞

息子と仏壇

景斗(ペンネーム)(兵庫県加東市/37歳)

「じいちゃん、今度そろばん検定試験あんねん。頑張るからな。見といてな。」
「じいちゃん、もうすぐ運動会ねん。」
 息子がいつもあれこれ語りかける問いかけに返事は無い。しかし息子の方は、決まってうんうんと相づちを打つ。
 父の三回忌が終わった。それまで仏壇の無い家庭で育った私は、息子の行動に驚きと頼もしさを感じている。
 突然の別れだった為、私達家族は悲しみに浸る間もなく様々な決断を迫られた。仏壇の購入もその一つかもしれない。故人を身近に感じたい、まずそう思った。
家族の中で特に当時小学一年の息子の悲しみは大きかった。初めての死に直面し、それが祖父という一番身近な人であり、初孫で娘しかいなかった父の愛を一身に受けて育った息子の悲しみはいかばかりか。
この2年あっという間だった。皆必死だった。心配した息子はと言えば、年頃で近頃私にはなかなか心のうちを語ってくれないが、仏壇の前に座れば静かに父に語りかけている。その姿を見ながら、この子はもう大丈夫とそう納得しながら男と男の会話に耳をすましている。
自然と仏壇に向き合い手を合わせる姿に、祖父を覚えていない妹達も後に続いて真似て座る。今この光景に、家族は癒される日々を送っている。

銅賞

お彼岸に撮った写真

千代野の孫(ペンネーム)(大阪府豊中市/51歳)

初めてのお彼岸に撮った写真。
甥っ子の成長が早過ぎて、記録と記念になればと弟に頼んで写真を撮ってもらった。
「仏壇」がしっかり入っているのを見て日頃の弟の父母と祖母に対する思いが伝わってきた。
この「仏壇」は、父が祖母のために買った「仏壇」だ。
父は二男母は一人娘だったので、父と母は母方の祖母の「仏壇」を守ってきた。
私たち姉弟も「仏壇」を「おばあちゃん」と思っていた。
果物やケーキなどは、「おばあちゃん」に先にあげてから・・・が普通だった。
9年前に母が亡くなり「仏壇」は祖母と母となった。
そして去年父が亡くなり、「仏壇」は祖母と母と父となった。

父の家から弟の家に「仏壇」を引越するとき、お寺さんにお願いする前に、弟と二人で昔の話をしながら時間をかけて丁寧に掃除した。
今までは、親の代がやって来てくれたことを私と弟でつないでいかなければならない。

弟は仏壇の部屋で寝ているそうだ。
休まるらしい。

そんな弟の背中を見ているからなのか、姪っ子も甥っ子も朝行くときは「仏壇」に
「じぃちゃん行ってくるね!」といって出かけるそうだ。
二人を見ていて、「仏壇」がそこにあるということだけで、大切なものを暮らしの中につないでいける気がした。

銅賞

仏壇があればこそ

涌田 哲也(奈良県大和高田市/75歳)

 このごろ、人生の終盤を感じる年齢になったせいでしょうか――よく、この仏壇を守ってきたものだ――と思うようになってきました。 近隣で起きた火災の時には、家族が力を振り搾って、安全な場所へと移動させたこともあって、何か所かキズもあり、煤けてもいたのが、ずっと気掛りでした。
 そこで、一念発起して「仏壇を新しくしよう!!」と決心したのは六十歳の誕生日の夜のことで、早速に長い付合いの仏具店に買替えたい――と伝えますと店主は、「こんなに立派なお仏壇なのに……、修復されてはいかがです?」と熱心に説得されたのです。
 父や祖父、そして、それ以前にも修理修復をしたという記録が判明して、私もますます、この仏壇への愛着が深まってきました。
 修復は、新規のものを購入するよりも予算がオーバーするようでしたが、清水の舞台から数回ばかり飛降りる覚悟をした私です。

 半年余り後に、磨きあげられた仏壇が戻ってきた日の感動は忘れられません。おかげで、それからの日々は平穏で、離れ住む息子たちの家族も、この仏壇に手を合わすのを口実にして訪れる回数が増えたみたいです。「お仏壇があればこそ」こうして皆なが集まる機会がもてるのでしょう。
 百数十年もの間、先祖の方が守り受継いできたのこの仏壇を、私も子孫に繋いでいきたいと思っています。

銅賞

大丈夫

成瀬 富貴子(岐阜県各務原市/70歳)

 「もう限界や……。トシの命も守れん。何処でもいいから、施設に預けたい」
勝気な娘の、弱音電話に飛び起きた。
 三歳のトシは並外れた好奇心と、行動力の持ち主だった。音響装置は壊してしまう。家中を水浸しにし、近所の水道を開けて逃げ帰る。飛び出しをして怒鳴られる。赤子を抱いた娘は、手には負えぬと言う。
 咄嗟に「大丈夫!」と言ってしまった私は、孫のトシを預かり、仏壇を購入した。
「家には仏様はまだ居らん。何を唐突な!」
夫には私の退職金で買うからと頭を下げた。
 毎日、仏壇に花と菓子を供え手を合わせた。うろ覚えのお経を繰り返し唱えた。トシは仏壇が入った時から、えらく興味を示した。
「何、ブツブツ言っとる。意味分からん」
と言いながらもすり寄ってきた。しめしめとトシの好物を供えて置いた。泥だらけの手で供物を掴んだ。その手をバチッと叩いた。
「これは、のんのん様のお菓子や。勝手に食べたら罰が当たる。ちゃんとすわって、手を合わせてのんのん様に頼みなさい」
と教え続けた。そのうちに正座して合掌する姿が板に付き、人の話も聞くようになった。
 仏壇の購入を渋った夫も故人となった。月命日にはトシが私の黒い羽織を着て妹とお経をあげるようになった。お布施の百円をうやうやしく貰う姿に家族は笑いをこらえる。  
 遺影の夫が苦笑いしたように見えた。

銅賞

家族を呼び寄せる仏壇

棚橋 すみえ(高知県高知市/62歳)

 午前三時過ぎ。いつの頃からか、なぜか夜更かし癖がつき、店の仕事や家事を済ませ二階に上がってくるのは決局この時間になる。
 なにはともあれ、真っ先に仏壇の前に座る。
「お母ちゃん、ごめん。又こんなに遅うなっちゅう。きょうもお客さん少なかったでえ、酒屋もいよいよ不景気でいかんきねえ」――。
 黄泉の国とやらでゆっくり暮らしているだろう母に、こんな愚痴を言ってはいけないと思いつつ今夜もついこう話し掛けてしまう。
 母があっけなく逝ってしまって早二十年。そろいえば、亡くなる一、二年ほど前から、母は折にふれこんなことを言い出していた。
「すみえ、お父ちゃんが死んだときに買うたこの仏壇は黒壇のえいがやけんど、ちょっと小振りや。狭いがは嫌やき私が死んだら一周り大きいがにしてよ。安いがでえいきね」と。  いま思えば、母は虫の知らせのようなものを感じていたのかもしれないなあ……。
 母の遺言通り、少しだけ大きくなった我家の仏壇も二十年の歳月を経て、すっかり風格を増し家族の皆が集う場所となってきた。
 夫と二女も、夜寝る前に必ず仏壇の前に座っているようで、深夜私が仏間に入ってもまだほのかに線香の残り香が漂っている……。
 結婚して家を出た長女も帰る度、まず仏壇に向かい拝んでいる。さらにこの頃は孫まで見よう見真似で小さな手と手を合わせている。
 そして今夜も最後は私だ。「お母ちゃん、お休み」と声を掛けて、やっと床に就くのだ。

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